司法福祉

司法福祉〔第2版〕: 罪を犯した人への支援の理論と実践

司法福祉〔第2版〕: 罪を犯した人への支援の理論と実践

矯正統計年報によると、入所受刑者に占める知的障害者数は283名(1.3%)。しかし同じく矯正統計年報により一方受刑者のCAPAS能力検査(刑事施設などで配役等の分類の為に行われる重ぬ作業能力を図るために導き出された数字。IQ値とそれほど大きな差がないと言われる)を筆者がまとめたところ、知的障害の目安である能力検査値69以下を見ると2万1539人中4270人で19.8%となる。

知的障害は知的機能の障害と適応行動の障害からなるとされている。一般的には、知能検査の結果ら導き出された知能指数(IQ)によって示され、概ねIQ70以下(場合によってはIQ75以下としている)が知的障害とされる。これから導き出される知的障害の有病率(全人口に対する割合)は、計算上は2.2%となる。2015年の国勢調査における日本総人口が1億2709万4745人なので、279万6084人となる。


一方、DMV-Ⅳ‐TR(米国精神医学会における精神病の診断・統計マニュアル)は精神遅延の有病率を人口の約1%と概算している。これは重篤な脳障害発生の減少、軽度脳障害の危険因子の改善などによるとされている。これで計算すると約127万人となる。


しかし日本における知的障害の認知率は低く、平成28年度版障害者白書では、知的障害児者数(推計)約74.1万人。また公的な障害認知となる療育手帳交付台帳搭載数(一部死亡消去漏れ含む)は2014年度末で97万4898人(うち、18歳以上は72万8562人)である。

この本の白眉は、やはり「犯罪者の社会復帰における課題」の章だと思う。

退所に当たり、国民健康保険生活保護などの社会保障制度を利用するためにまずすみやかに住民票を設定することが肝要から始まり、入所中に年金保険がどうなっているか雇用保険の扱いなど。


それからさりげなくも書かれるが、矯正施設へなじまない人が保護の手からすり抜けてしまう点、やっと地域生活定着支援センターができて、それでも二次的、三次的なフォロー体制の構築は、私の生きている間は見てみぬふりで終わりそうな気がしなくもない。


医療機関等による暴力防止プログラムとして、包括的暴力防止プログラムCVPPP、非暴力的危機介入法が米国英国・オーストラリア・ニュージーランド・日本等で、同じ内容のトレーニングが行われているそうだ。

精神保健福祉法講義

新版 精神保健福祉法講義 第3版

新版 精神保健福祉法講義 第3版

2013年に「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部を改正する法律」(平成25年法律第49号)が成立し、2014年4月から施行された。

 第2に、保護者制度の廃止および医療保護入院要件の見直しに関する物であり、従来の家族などから選任された保護者の保護義務に係る従来の条文は削除され、保護者制度が廃止された(旧法20条〜22条の2)。これに伴い、従来の医療保護入院の入院手続きを見直して医療保護入院における保護者の同意要件を外し、家族等(配偶者、親権者、扶養義務者、後見人または保佐人。該当者がいない場合は、市町村長)のうちいずれかの物の同意を要件とすることに改められた(33条)。


第3に、医療保護入院における退院促進のための規定が新設された。従来、医療保護入院者についての退院促進に係る規定はなかったが、「入院医療中心から地域瀬活中心へ」の流れに沿って、新たに、退院後生活環境相談員の制度を設け(略)


第4に、医療保護入院要件等の改正に伴い、精神医療審査会の見直しが行われた。まず、委員構成について、これまでは、精神障害者の医療に関し学識経験を有する者2名以上、法律に関し学識経験を有する者1名以上およびその他の学識経験者1名以上、計5名の合議体で審査することになっていたが、改正法では「その他の学識経験を有する者」に替えて「精神障害者の保健又は福祉に関し学識経験を有する者」(13条)とした。要するに、精神医療審査会の審査の強化を目指す改正をしたのである。

2014年度「精神保健福祉白書」から「平成23年患者調査に基づく推計患者数、受療率、総患者数」


「国民衛生の動向」vol63 no.9(2016/2017)より、精神科入院形態別患者数



界隈の雑誌と専門書を突き合わせるとずれができるな、と思ったことであるよ。

パレンスパトリエやポリスパワーネタもよくまとまっていたように思います。

版を重ねる良書でありましょうか。

歴史に学ぶ刑事訴訟法(1)

歴史に学ぶ刑事訴訟法

歴史に学ぶ刑事訴訟法

読み始めると、ファシズム、と言葉が躍りだし、人権派の人かな?と思った。しかし、題名に「歴史」とあるように、根拠をちゃんと持ってきているので、読み辛いということはなかった。どこまで、恣意的なのかは分からないが。

旧刑訴法のもとでは、捜査権限は予審判事に帰属し、検察官は現行犯や軽微事件を別にすれば強制処分権を与えられていなかった。

取調目的による身体拘束は本来は違法・違憲だが、その事実上の権限を与えれたことで、検察官は被告・弁護人に対して圧倒的に優位な立場に立つ。しかも予審制度の廃止により、被告事件を公判に付すべきか否かを決するのは予審判事ではなく、国家追訴主義・起訴便宜主義による公訴権を独占するのは、いまや検察官である。

私がなぜ刑訴法も追いかけるようになったかというと、日本の起訴制度が世界と比べてどう違うか知りたく思ったからである。意外と早く端緒が見つかった。

偽善的に中立として描かれた本より、この本のような独善的とも言われかねない本のほうが、その理由を書かれていた場合は分かりやすい。

たとえば陪審制度では、当事者による証拠請求を容れるか否かという証拠採用(証拠決定)の過程と、採用された証拠をどのように評価するかという証拠評価の過程は明確に区別され、前者は裁判官が、後者は陪審員が行う。


しかし現行刑訴法の下では両者ともに同一の裁判官が行うことになっている。

日本の近代刑事訴訟法典たる1880年の治罪法ならびに1890年の明治刑事訴訟法の母法たるフランス治罪法(1808年ナポレオン刑訴法典)や、1922年の大正刑事訴訟法(旧刑訴法)の母法たるドイツ帝国刑訴法(1877年)もまた、決定証拠主義を脱して自由心証主義を採用していた。

大正刑訴法は現行刑訴法の前身である。この戦前の旧刑訴法は、そもそも検察官等の検査機関の強制処分権限を認めず、自白調書を含む供述調書も、供述者の死亡の場合を除き、予審判事作成のみを証拠として認めていたに過ぎない(343条1項「法令ニヨリ作成シタル訊問調書」)。タテマエではあれ戦前の刑訴法ですら捜査が刑事手続の主戦場をなす自白裁判からの脱却を標榜していたわけである。

結構、旧刑訴法は暗黒ぽく感じていたが、建前としては現行の実態もかなり怖いものなんだ、やばいといわれるのもむべなしか、という気持ちになって来た。

刑事訴訟の原理(2)

証拠禁止(Beweisverbot)の観念は、ベーリング1903年の論文「刑事訴訟における真実発見の限界としての証拠禁止」によって確立され、以後、多くの刑事訴訟法学者の採用するところとなった。


ベーリングは、訴訟法秩序自体が、本来真実発見を追求するものでありながら、時としてはこれを断念として別個の利益に奉仕しようとすることに着眼し、ドイツ刑事訴訟法を素材としてこの種の現象に鋭い分析を加えた。


彼が抽出した証拠禁止の根拠は、国家の利益、王族の利益、訴訟関係人の人格的利益、親族関係、業務上の秘密、私有財産権の6個で、これらを保護するための証拠禁止の意義、効果、態様などが、解釈論的、立法論的に検討されている。


ベーリングは、証拠禁止に違反して得られた証拠は判決の基礎とすることができないと説き、このために犯人が無罪となることもありえようが、そこから証拠禁止を廃せよと論ずるのは一面的かつ近視眼的だと断じた。


しかし、問題は、実定法上どの範囲で証拠禁止が肯定されるかにあり、ベーリング自身は、「刑事訴訟における真実追求という国家的利益が、他の国家・団体・個人の利益にどこまで優越するかは多大の研究を要する問題だ」と論じつつ、「幸いにして証拠禁止の規定は例外的である」と述べるにとどまった。

警察の証拠収集が強引だったら、証拠にならないよの発祥は1903年か。意外と古い。


この人権保障と証拠禁止の関係について、新たに重要な発言をしたのが、1950年ごろに発表されたニーゼの論文だそうである。


ドイツ法は

とくに異色があるのは、公判廷外では鋸術を拒否しなかった証人が、公判廷で証言拒絶権を行使した場合、すでに存する供述調書を証拠とすることも許されない、という252条の規定である。


我が国では、証言拒絶権が行使された場合、検察官面前調書が当然に証拠になりうるとされており、この点における彼我の懸隔は大きいといわなければならない。

注意として、この本は40年以上前に出た本で、当時からしても10年前に書いたという論文も掲載されているし、歴史的な経緯として覚えておこう。

最後に、そしてもっとも重要な論点として、ドイツ法における証拠禁止の問題が、「人間の尊厳」や「人格の自由な発展」という理念的なものを中心として展開していることをあげなければならない。


それは、アメリカ法が、違法捜査の抑制という政策的な目標を第一に掲げるのとは、鮮やかなコントラストをなしている。

同じような結果を生むのに、根拠はそれぞれの国で全く異なるなんて、他国の刑法もかじってみたくはなる。しかし、やっぱり本が出てないし、外国語を覚えるところから始めないといけないんだろうな。

刑事訴訟の原理

45年近く前に書かれた本で、旧刑法改正云々、書かれてあるのは新鮮であった。

弁護人は依頼者に不利益な行為をすべきではない、当然のように思っていたけれど、

ドイツではA自白を勧めるのは弁護人の任務ではない、しかし、B被告人に自白の意思があるのを抑止したり、すでにした自白を撤回するよう説得したりすることは許されない、という見解が、ほぼ通説の地位を占めている。

昔のドイツでは、被告人<真実のようだ。

ドイツでは、弁護人が承認との事前の接触を避けたがる傾向があると言われている。それは、真実をまげるための面接ではないかと疑われ、痛くもない腹を探られる破目におちいるのはいやだという気持が働くからである。

口先だけの弁護人と少し趣が違う。

弁護士は真実を追求するべきか、被告人の利益か、で、アメリカでも

そして、これらの一般原理から生ずる禁止の具体例としては、法律を守るより罰金を払ったほうが安上がりだと助言すること、たとえ公平な裁判が得られないという予測や召喚の根拠法令の違法性を理由とする場合であっても、逃亡したほうがよいと勧めること、最高裁判所が有効とした法令の効力を争い、違反してもよいと公言することがあげられる。

これも現在のアメリカの弁護人のイメージ(が明確にあるわけでもないが)と少しずれて、昔の本を読むのも勉強になる。

司法精神医学の現在(2)

司法精神医学の現在  医療と司法のはざまから

司法精神医学の現在 医療と司法のはざまから

措置入院は、本人はもちろんのこと、家族が反対していても、都道府県知事の命令によって強制的に入院させることが可能な制度です。

したがって、措置入院という入院形態は「行政処分」そのものであるといえます。

措置入院における医療費については全額公的負担があり、本人・家族には経済的負担がかからないことになっています。


しかし、診療報酬は1点10円の保険診療で評価されており、病院の収入もそれを超えるものではありません。


すなわち強制入院は行政処分であるにもかかわらず、治療そのものは赤字が問題になる保険診療で行われているのです。(略)


我が国の精神病床35万床体制は、本来かけるべき費用を惜しみ、赤字を出すわけにはいかない民間病院主導の安易な路線を取った結果であると言えます。(略)

赤字を出すわけにはいかないので、手厚い診療ができず、長期間入院させる、とはさすがに文字にしては書いていない。

医療保護入院は、家族の同意による入院ですが、医療保護入院といえどもあくまで法律に規定された入院形態であり、裁判所での保護者の選任も必要である等、強制処遇という意味では措置入院と特に大きく変わるものではないと筆者は考えます。(略)


欧米諸国では一部の国を除いて、わが国における医療保護入院のような入院形態は存在しないことが知られていますが、精神科の入院には「強制処遇」か「非強制処遇」かのどちらかしかないことを考えると、欧米諸国がそのようにしていることの意味がよく分かります。


このように考えると非強制医療は民間で、強制医療は公立で、という構図がある程度明確になってきます。

英国の司法精神病棟では

コスト面では、一般精神病棟(General Psychiatry Unit)でも一人当たり月に80万円前後、HSHやMSUでは一人当たり年間2,400〜2,600万円以上かけており、日本のそれと比べると、一般精神病棟で2倍以上、HSHやMSUでは5倍近いコストをかけていることになります。


しかし、英国の精神病床数は日本の6分の1以下という遙かに少ない数であるため、全体的には低コストで済んでいることになります。(略)


日本では35万床を抱えているという現状がある以上、これだけのマンパワーをつけることはほとんど不可能と言わざるを得ません。

それから、少し前のページから引用すると

まして現在の医療技術を持ってすれば、ほとんどの患者は退院できるほどに回復するのです。


筆者の病院に関しては、現状の限られたマンパワーと低医療費の中にあっても、他病院への不必要な転任をさせずに3カ月以内に80%が退院でき、1年以内では98%が退院できています。

現在、精神病院は儲からないので、箱だけグループホームに作り替えていると聞いたような、実際どうなのだろう?


入院して、外出の自由もないのは、辛いだろうな。


都会っ子はコンビニがないところが辛いと聞いて、夜に気ままに買い物できるのが当たり前であるのに。


措置入院については仕組みが変わったので、また本を買わねばなるまい。

司法精神医学の現在(1)

司法精神医学の現在  医療と司法のはざまから

司法精神医学の現在 医療と司法のはざまから

精神保健福祉法24条には「警察官は、職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、精神障害のために自信を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められるものを発見したときは、直ちに、その旨を、もよりの保健所長を経て都道府県知事に通用しなければならないとされています。


これが「警察官通報(24条通報)」であり、保険所はその通報を受けて、都道府県知事の命令に基づき、精神科医(精神保健指定医の資格が必要)による「措置診察」が実施されます。

しかし、24条通報で入院すると、そのまま罪を問われない、運用も保健所長って土日は休むしまともに運用されていない県もある?

検察官通報は25条だそうです。

日本の精神病床数は2008年で35万5,966床となっており、実にわが国の全病院の病床数の22%を精神病床だけで占めています。

厚生労働省「病院報告」より


また、病床利用率は90%前後で推移している。


病院の経営が危うくなるのに、患者を退院、社会復帰させるわけない。


厚生労働省の資料だと、2005年で精神障害者数は302万人。



1972年には7万6,597人が措置入院で精神病院の入院患者の約3分の1を占めていた。


なぜなら、医療費が無料になるから。


ただし、2006年には2,061人になったのは、患者が問題を起こしたときに病院の責任が問われるから。

欧米人は人権に敏感であるという面もありますが、強制権の発動という人権の根本に関わることについては、栽培間に責任があるというのが、世界的な趨勢となっています。(略)

今回、医療観察法によって6大罪種に関してはようやく裁判所の責任が明確になりましたが、以上のことを考えれば当然のことと言えます。

人が何するかなんて良くも悪くもわからなく、隔離していたほうが問題が起こらないからそっちに流れがちである。


だれが、精神障害者の責任を持つのか、そうか、裁判官という手があったのか、目から鱗だった。