刑法の基本思想

刑法の基本思想 (成文堂選書 (41))

刑法の基本思想 (成文堂選書 (41))

戦前から戦後の有名な刑法学者、牧野英一、木村亀二、小野清一郎、滝川幸辰、佐伯千仭、団藤重光、平野龍一という七人の諸家を選び、その基本思想を時代の流れに沿って比較検討した本である。

法学部4回生は全員に心当たりがあるのだろうか?

中山研一先生は本を見つけたらできるだけ買うようにしているのだが、今回も当たりだった。

戦中、ナチスの法と近接して、罪刑法定主義が揺れた。

刑法も世間とは無縁ではないとすれば、今の刑法は未来の刑法(他国の刑法)と比べどこが特色的なのだろうか?

瀧川博士の主張の核心は、刑罰の本質を純化して「起動に対する反動」の一点に集約し、その内容は苦痛であり、刑罰は苦痛による浄化、贖罪作用によって正当化されるとするところにある。


しかし、出発点において、カント、ヘーゲル流の絶対主義的応報刑論に立ちながらも、それが犯罪必罰主義に流れる危険のあることが最初から自覚されており、文化の観念による目的制約が留保されていたのである。


その意味では、復習からタリオに、タリオから現今の刑罰組織にと言った刑罰の進化は考慮されていたといってよい。しかし、このような相対的進化にもかかわらず、応報観念が本質上抜きがたく人間性に由来し文化的にも超克されえないという確信が最終的に博士の応報刑の結論をさせるものであったということができるであろう。


では次に、刑罰の一般予防目的についての評価はどうであったか。一般予防とは、一般人をして将来犯罪を実行せしめない効果であるとされるが、刑の執行による威嚇作用が時代おくれだとすれば、刑の予告による一般予告の効果が問われることになる。


この点で瀧川博士は、フォイエルバッハの心理強制主義を罪刑法定主義に基づく法治国家思想との関連で高く評価しながらも、一般予防の立場からは犯罪の行われたことは刑の予告が無力であったことの証明であるとしてその失敗を指摘する。均衡原則による不必要な刑罰の排除という積極面はあまり強調されず、むしろ一般予防の蓋然率が測定しがたい擬制にもとづいており、刑の加重にみちびきやすいという批判的指摘がみられるのである。


次に、特別予防については、とくにリストを中心とする実証主義に主張にふれる中で、犯人の個性に応じた犯罪予防の効果が現実的価値をもつとして、むろん法治国家的保証を条件としてではあるが、むしろ最初から前向きに評価されていたのが注目される。それは特に、資本主義の相対的安定期という時代背景を前提として、社会全体にとって不安ではなく、むしろ進歩的なものだとさえいわれたのである。


しかし一方、特別予防による犯人の改善が教育刑主義にまで純化されると、罪刑法定主義を中核とする法治国思想に矛盾するという理由で批判されることになる。(略)しかし、その後、特に戦後の状況の中で、刑罰の特別予防的意義にどのような評価が具体的に与えられるにいたったかいう点は、必ずしも明らかではないように思われる。

瀧川博士の本を追いかけても勉強になりそうだし、佐伯博士も落ち着いていて、もっと詳しく知りたくなった。


歴史的経緯を押さえないと、どうやって日本の刑法の骨子ができたのか、重要視される項目の理由が分からないということになりそうである。